2000年10月1日 天候:晴れ 走行距離:114km
本日は、熊本市を出発して轟水源にいって一度熊本市に戻って菊地渓谷に抜けて、それから阿蘇に向かう予定。先日の雨でブレーキシューの減りが気になるので、どこかプロショップで購入する予定。
相変わらず、宿では朝食をとらずに出発しました。20分ぐらい走って体が温まったところで、キャメルバックに水を補給するのとストレッチの為にコンビニで止まるようにしています。水分は、20分に一回200mlぐらいとっていますので、2リットルのペットボトルで買っています。ただの水でもいいのですが、味がないのもなんなので、お茶にすることが多いです。昔は、ウーロン茶を飲むことが多かったのですが、今回は緑茶入りのモノが多いですね。
なぜ、一回200mlというと、これ以上飲むと胃の中にたまるからです。学生時代に、トレーニングにこだわっていた頃なら、スポーツドリンクを2倍に薄めたり、バームのようなもので脂肪の燃焼効率がどうのこうのといことにこだわっていたでしょうが、今は全然そんなことは気にしなくなっていました。競技ではないということもありますが、別に気にしなければ、ナンとでもなるものです。細かい事はきにしないという感じです。
熊本市は、市電が走っています。前にも書いたが、路面電車と言うのはなれていないと怖いものです。でも、チキンラーメンのコマーシャル塗装された車体はかわいいなと思いました。
チキンラーメンと言えば、今回の旅でアドバイス頂いたアトリエ・ドゥ・キャファのある池田市が発祥の地である事を思い出しました。チキンラーメンは、ラーメンとしてもおいしいのですが、こなごなにするとベビースターラーメンのように、お菓子としても食べられるところがすばらしいです。他にふりかけにもなります。
熊本市から轟水源のある宇土市までは、片側2車線の道路が整備されていて、しかも平坦なので朝のうちは車の量も少なく走りやすかったです。さすがに夏の暑さも去り、日が昇る時刻も遅くなったので、朝ゆっくりスタートして、日中走っても秋晴であれば、からっとしていて走りやすいです。
追い風もあり、宇土までは1時間こかからりませんでした。先日から雨続きなので、久しぶりに晴れだと気持ちがいいです。コンビニで轟水源について伺うと、町の中に入っていくらしいのです。標識どうりに走っていくと、どんどん昔からある人家の中に入っていきます。“ほんまにあるのんかいなぁ?”と思ったところで、水源につきました。
水源地は公園として整備されて、大切にされているようでした。轟水源は、宇土地方が有明海に面しているために、井戸を掘っても塩分が混じってしまうため、江戸時代にここから城下町まで4.8kmもの土管で飲料水を確保したと言う水源です。
私が訪れたときも、次ぎ方次へと水を汲みに来る人が絶えませんでした。1日に6000tもの水が湧き出すそうです。そんなに出るのかなと思われるほど、静かなところでした。側には、轟御殿跡があり轟泉水道資料館となっていました。
トドロキというと、先日行った長崎県の轟渓流を思い出しました。さらに、神奈川と東京にもトドロキというところがあります。一つはベルディー川崎が存在した時、ホームとして使用していた競技場のあるところ。もう一つは、三軒茶屋から少しいったところ。何か関係があるのでしょうか?それと、F1が日本ではじめて開催された時(70年代にFUJIで開催、SUZUKAが最初ではない)にグランプリの鷹というアニメがつくられた。そのアニメの主人公の名前がトドロキ タカヤで、自動車メーカーがトドロキ モータースだったことも、トドロキと聞くたびに思い出します。
もとの国道にもどり、熊本に戻りました。途中、ポルシェ・ボクスターに抜かれました。秋晴の中、オープンで走るのは気持ちが良いだろうと思いました。そういう私は、いつでもフルオープンですが・・・。
熊本市内に戻って、プロショップを探しました。これほどブレーキシューが早く減ると思っていなかったので、予備のブレーキシューは持ってこなかったのは痛いです。熊本市は大きいので、どこか売っていると思うのですが、見知らぬ土地で探すのは、結構難しいものです。東京や大阪と違い、県庁所在地でも自転車屋さんはあっても、プロショップは意外と見つけにくかったです。
結局、見つけらけず次の名水、菊地渓谷に向かうことにしました。国道387号で今度は北に向いました。旅をスタートしてから、北に向かって走るのは岩国から錦町に向かった走って以来ですから久々です。毎日、太陽を右から受けて、太陽の方向で時間と方向を判断していたので、自分の前に影ができると妙な感覚になりました。
菊池市までは、特に曲がる道もなくまっすぐでした。途中、阿蘇という表示が出てきて、阿蘇山が見え、広大な草原が広がるところもありました。農業試験所もあり、豊かな自然を感じることができました。今日は、空が青く日差しが厳しかったです。夏に逆戻りしたようでした。
2時間ごとにコンビニで休憩していますが、熱さで集中力が切れやすかったです。集中力が切れたときは、冷たいコーラに限ります。信号で止まると、汗が噴出してきました。出きるだけ止まりたくありませんでした。
菊地温泉までいって、そこから菊地渓谷のある山に入りました。またここから阿蘇の外輪山に出るまでは、多少の下りはありましたが、ひたすら登りでした。秋も終わりと言うのに、ツクツクボウシが寂しく鳴いていました。汗が滴り落ちました。ジャージのファスナーをフルオープンにして、ちょっとマジになって漕ぐと、たちまち心拍数があがり、“これ以上無理をするな”と心拍計が警告しました。日曜ということもあり、バイクや車に追い越されることが多く、ついついマシンパワーがうらやましくなります。
気がつくと、かなり登っているらしく眼下に黄色に色づいた段段畑が広がっていました。田んぼが、色づいているところを走ると秋を感じますが、山はまだそれ程紅葉はしておらず、夏の様相を残していました。
途中、水がなくなったので、いこいの広場で補給しました。止まると、汗が滝のように流れ出し、サングラスが雲って使えなくなるほどでした。今日は30℃を越えていいたそうです。
菊地渓谷には15時頃つきました。ちょっと予定より時間がかかりすぎていましたが、仕方がありません。さっさと写真を撮って阿蘇に移動することにしました。しかし、実際に渓谷に入ると結構風景に見とれたり、フレームに人が入らない写真を撮ろうとすると時間がかかってしまうものですね。
清掃協力金100円を払って菊池渓谷に入りました。入ってすぐに赤い吊橋があり、緑にはえて美しかったです。水の色は空の色を反映しますが、ここの川の色は、不思議なブルーグリーンをしていました。
黎明の滝に出ました。昔よく電気屋さんやガス屋さんが年末にくださったカレンダーにありがちな滝特集に載っていそうな、典型的な渓流が広がっていました。マイナスイオンの性か、気分が非常にゆったりました。
山深く、木々に覆われたところにあるため、湿度が高く、苔むした岩が随所にで見られ、美しい渓流となっていました。
天狗滝と竜ヶ淵の間には吊橋がかかっており、絶景を眺めることが出来きました。
【竜ヶ淵】
この橋のたもとには湧水があり、散策で乾いたのどを潤すことが出きます。
さらにここから少し上流に行くと、日本の滝百選にも選ばれた四十三万滝にでました。この滝は、落差があるわけでもなく、岩のところをちょっと大きめのレジャープールにある滑り台のよう感じで水が流れているだけで、そんなにすごいなと感心するものではありませんでした。むしろ黎明の滝の方が美しかったです。ここで散策のおり返しとなっており、下ってもとの入り口に戻りました。
入り口に戻ると16時前でした。時間的に中途半端で、菊地に戻るか阿蘇に行くか少し悩みましたが、また明日同じ道を登るのも面倒なので、阿蘇に抜ける方を選びました。菊地阿蘇スカイラインを通って国道212号の方に抜けるようと思いました。
菊地阿蘇スカイラインは、スカイラインと言うだけあって、また登りでした。道はつづらおりなっており、カーブを曲がりきると上のほうに道があり、そこを走る車が小さく見えました。「まさか、あんなところは走らないだろう」と思いましたが、結局どんどん登っていくと、さっき車が小さく見えたところを走っていました。登っても登ってもくだりになりませんでした。日はどんどん低くなり、光線が弱くなって黄色からオレンジがかってきました。急いではいるですが、心拍計がこれ以上スピードを上げるなと警告を発しているので、それ以上がんばる訳にはいきませんでした。一気に登っているなら良いのですが、だらだらした登りが延々と続きました。夕方になって、まったくの未知のところは、精神的余裕がないときついです。どれほど走っていて後どれぐらいで下りに入るかがまったくつかめませんでした。こんなときにGPSがあると便利なのにな~と思いました。
今日は、いつもなら15時か16時ごろに行っている宿の確保できていなかったのですが、携帯も圏外なので、どうしようもありませんでした。
ちょこっとした下りがあり、「やっと下りか」と思ってジャージのジッパーを閉め、下りの準備をして、いざ下るとまた登り、というフェイントが何回か繰り返された後、やっと本格的なくだりに入りました。夕方で太陽が沈むまえということと外輪山の上という条件が重なって異常に寒く感じました。手がかじかむ程でした。
しばらく走ると、展望台に出ました。
まもなく日が沈むところだったので、少しの時間もおしく思え、止まろうかどうしようかと迷いましたが、結局止まって現在位置を確認しました。麓の街並が小さく箱庭のように見え、田んぼが規則正しく並んでいました。
地元の人らしき方に道を尋ねると、阿蘇駅は尾根の道を直進して下っていくことがわかりました。夕闇の中にうっすらと道が見え、アリのように小さい車が走っていました。
あそこまで走らないと行けないのかと思うと、ほっとした思いでした。
さらに、阿蘇駅は先でした。
気合を入れて下りました。途中、昔懐かしい円筒形のわら塚に似たものを牧草で作っているところがあり、止まって写真を撮りました。もっと写真を撮りたかったのですが、止まると体が冷えるので、先を急ぎました。
気合を入れて走ったのは良いのですが、あるカーブの所でブレーキがかなり甘くなっていることに気がつきました。先行する車のブレーキランプが見えたので、ブレーキをかけたのですが、スピードが出ていたこともありますが全然効きません。ずるずると滑ります。キャンプセット一式をつんでいて、車重があることも原因していると思います。リアはまったく効いていないようでした。ブレーキが甘くなると当然全力では下れなくなりました。どこかでブレーキ調整しようかと考えましたが、暗くなりだしたので、とりあえずゆっく下るということにしました。
調整しなかったのは、寒くて暗くなり始めたことが最大の原因でしたが、ブレーキのメンテナンス性が最悪だということも原因しています。軽量で、制動力では最高のVブレーキですが、その強力な制動力の為に、逆にブレーキ本体を取り付けているフレームがたわんでしまう現象が起こることがあります。その為、私のBIKEにはカーボンブースターで補強し、フレームがたわまないようにしているのですが、これが少々問題でした。この旅に、ブレーキレバーが、Vブレーキ対応の微調整ができるものが間に合わず、普通のブレーキレバーを使いましたので、微調整が出来ません。だから、ブレーキ本体の方でワイヤーの引きの強さを調整して、ブレーキの効きを微調整する必要がありました。そのため、ブースターをつけていることによって、微調整が非常にしづらくなっていたからです。
ほとんど視界が利かなくなるギリギリの状態のところで、下りを終えることが出来ました。とりあえずコンビニに行き暖かい飲み物をかいました。一息ついてから、阿蘇YHに電話しました。時間が遅いこともあって、心配でしたが、快くOKがでて宿を確保が出来ました。本当にうれしかったです。しかし、まだコンビニから阿蘇YHまでは少し距離があるらしく、30分ぐらい走らないといけないとのことでした。
まぁ、泊まるところが確保できたので、安心してゆっくり走っていきました。阿蘇駅まではずっと平坦な道を一直線でした。街灯がない道だったので、少し走りにくく、車がこないことを願いました。先ほどまで走っていた尾根の上の道と違って、暖かいだけでもましでしたが、交通事故とパンクが怖かったです。見ず知らずの土地を闇の中走ると、えらく長く感じますし、せっかく教えてもらった道でも、あっているのか疑い出すから不思議です。
やっと、阿蘇駅に到着して、掲示板で阿蘇YHを確認し再出発しました。駅から阿蘇YHまでは、一本道で比較的近いようでした。道は徐々に登りだし、どんどん寂しくなっていきました。街灯もなくなって厄介だなと思っているとお墓の前を通ることになりました。「倉敷YH、岩国YHといい、どうしてYHはお墓の近くにあるのかな」と思いながら、怖いのでペダリングが早くなりました。しかも生暖かい嫌な風が吹いてきました。そう思ったとき、前方に街灯が見えました。そこが阿蘇YHでした。お墓もそうですが、今日もまた登りゴールでした。
阿蘇YHのホストさんが、また大変良い人で、夕食をしていいないというと、食堂を紹介していただきました。しかも、食堂まで車で送迎つきだったので、感謝感激です。食事は地元の料理で、ボリュームたっぷりでおいしかったです。今日の登りの疲れと下りの寒さが吹き飛びました。
↑さらにコーヒー付です。
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